2019年06月28日

ビューティフルでい

西條です。
令和な元年。この夏どこに遊びに行こうかとか、全然シナリオ上がらないとか、またハゲが進行したとか、毎度の梅雨。

最近、WOWOWでビューティフルデイという映画を見た。
ホアキンフェニックス主演作品。
ところどころ思うところあるが面白く観れた。
ストーリーもキャラ設定もそれほどうまく入ってこないし、スタイリッシュにしたことで物語がわかりづらくなっていたり、小品感を出ることは無い、がそれがまたこの作品の良さになっていて、登場人物の心情が大げさじゃなく伝わってくる。多分とんがっている感じがしたんだろう。
ホアキンフェニックスは全然イケメンではなくなったがどんな役も演じられる人になった。
リバーが生きていたらアメリカ映画史に残るすごい兄弟になっただろう。生きていたら違う未来だったかもしれないが。

インドアにテレビで映画を見る朝とか夜とか過ごしてます。とかいって忙しくて過ごせない時の方が多いけど。

子供が学校から朝顔の苗を持ってきた。学校で使っている鉢に収まらないから少し家に持っていきなさいと言われたらしく、ビニール袋に入れて持ってきたのだが、さてどうしましょう、ということで、いそいで土や石灰や栄養あげるアンプルみたいなのや買ってきて、一応ベランダで植えたりしてみたが、2週間もすると蔓が伸びてきて、これ咲くんじゃないのと楽しみだったんだがすっかり葉が黄色くなり、浅い小さな虫的な斑点とか出てきたりして残念ながら枯れてきた。。。うーん

植物を育てるのは難しい。いままで上手く育てられたことがないプチトマトとか、シソとか。
両親は結構うまくなんでも育てるんだが、水だけやっていればいいってわけでもなく、
手をかけすぎてもダメだしで程度がわからない。インコとか育ててもあんまりうまくできなかったんだよな小さいころ。
朝顔は気づいたら蔓が風の影響かボキっと折れており、もう瀕死である。うーん。悲しい。

日々は悲劇と喜劇の連続である。いいことと悪いことが起こる。他にも起きているのだがそれはあんまり印象に残らないから日々は悲劇と喜劇が多くなる。でもそれが多い人は何かをしようとしている人だと思う。現在進行形の人は、特に年齢の高い人は、周りから見てもバカにされやすいが、でも何かをしようとしている人は、毎日いろんな成功と失敗があり、いろんな負と陽に触れることが出来る。そして僕にはとてもかっこよく見える。目指せ50代のロストジェネレーションは今一度、この夏に誓うのだ。何かしようって、それでダルダルのビール腹をちょっと引っ込めようとプールに入って泳いだりした。がその翌日痛風になった。

痛風、風が吹いても痛い。
今回三回目の発症。もうだめだ。今回の痛さは、万力で右足をgy--っと挟まれてそのまま止まっている感じで、そろそろ骨がミシっときますな、というギリギリチョップ。今までで一番ひどい。
医者にロキソニンをもらい、一応、他のケガじゃないか検査でレントゲンを撮り、やっぱり骨には異常が無いので、もうこれは尿酸降下剤飲まないとダメっすねと。ロキソニン一週間、その後毎日尿酸降下剤飲んでおります。今度の血液検査で下がってるといいなあ。

水泳が直接の原因かどうかはわからないが、足を踏まれるだけで痛風を発症する人もいます。
尿酸値がもともと高い人はね。でも落ち着いたら水泳また行きます。とても気持ちが良かったもので。しかも一時間200円で泳げるなんて安くて。運動っていいね。

さっきアイスクリームを買いに行ってすれ違ったおしゃれな小太りの男を思い出している。髪の毛も服装もGLAYのテルみたいにしてるが顔の表情が感極まったかのようにこわばっており、一点を見つめながらスーパーに向かって歩いて行った。年齢不詳で髪型と肌年齢が一致しない感じ。つまり幸薄そうに見えた。だがそれでも彼にだってきっと悲劇と喜劇が混在する毎日なはずだ。幸薄そうに見えたが僕みたいに痛風にはなっていない歩き方だった。きっと久しぶりのこの暑さで僕みたいにアイスを買いに行ったのだ。今頃チョコレートの破片をほっぺたに少しつけて、歩きながら中のバニラが棒から溶けて落ちないように気を付けて食べているだろう、そろそろ顔もGLAYのテルになっているはずだ、と信じて僕ももう一本アイスを食べようと思う。

悲劇と喜劇の夏は一瞬ですぎていく、僕は地道にやろうと決めた。

2019年04月30日

新しい年号

西條です。
平成が終わる。明日から新しい年号、令和。
テレビは平成はどんなもんだったか放送しています。
それぞれの平成。あなたにとってどんな時でしたか。

昭和が終わったとき、僕はまだ中学生で。
崩御でテレビが自粛。何が起こったか理解はできないが、妙な雰囲気は感じていた。厳粛というか茶化せる雰囲気ではない感じ。今回は退位。準備も出来、いよいよと迎えることが出来る。いたるところで令和キャンペーンやセールがやっている。

僕もひとつ、平成を思い返してみようかなと思ったが、
よくよく考えればなんせ31年も続いたし、スタートが中学時代だったので、要するに青春まっただなかで、何もかもがこの時代に始まり終わり、昭和は僕にとっては基礎を形成する時期で、平成はそれをもとにたくさん後悔と挫折と幸せを経験した時間である。

青春である。夢を追いアナログからデジタルに変わっていく変革期を思春期から経験し、上京し、映画を手元で作ることが出来るようになり、たくさんの人と出会い、結婚して出来た子供にYOUYUBEばかり見るんじゃないと怒ってる。ところまで。

出会えた人たちのほとんどは素晴らしい人で。素晴らしくない人もいたが僕だって誰かの素晴らしくない人だったと思うので。偉そうなこと言うよりまず謝っておきます、あの時はごめんなさい。

平成は混沌としていた。個性提唱の時代。自己責任の時代。
脱消費の時代。不景気の時代。幸せの価値を探る時代。戦争のない時代。情報の時代。
そんな時代。年号なんか特に関係なく、そんなふうに流れていったんだろうけど。
全員が右から左へ言われれば動くことに疑問を持った人たちが秘かにも高らかにも主張しはじめ、市民権を得ていった。おかげで夢のかけらがあちこちにできてたくさんの人がそのかけらにつまづき、でも自分らしい光を求める事を肯定し続けられるようになった。経済は低空飛行だが、日本は小国として成熟したように思う。

極めてキラキラしていた。大青春時代。僕はキラキラしていたことをたくさん実感として覚えている。時代に乗ることも助けられることもしなかったのにキラキラ出来たのは、幸せなことだと思うのだ。親族を含め出会えた人たちほとんどに感謝をします。感謝したくない人も沢山いるからほとんどと言っておきます。僕も誰かの恨みを買ってるはず、本当にごめんなさい。平成のうちに謝っておきたい。あの時はごめんね。

そんなわけで、平成最後、明日から令和。また戦争のない時代でありますように。子供たちが成長した時、キラキラだったと思える時でありますように。平成は色でいうとピンクと少し深めの青だった。令和って響きがクールで好きだ。レモン色に近い黄色とオレンジだ。

2019年02月01日

春が待ち遠しい。

西條です。
今年はまだ寒過ぎる日が来ないのですが、
二月。風の冷たい寒さ本番。おののいて春が待ち遠しい。

インフルエンザA型がかなり流行っています。
去年僕はBにかかりました。Bとくらべて比較的短いA、といっても3日は苦しむ。
高熱。40度の熱経験あり。まあ苦しいったらない、吐き気もあり、関節もバリバリいたいし、とにかくかからないことが一番。
なので家に帰ると手洗いとうがいは恐怖に背中を押されつつマスト。

そんなわけで、人の多いところに行くのもちょっと身構えるわけですが、
映画館に行ってきました。やっぱ映画館はいいね。気分が上がる。
シャマランの「ミスターガラス」見に行きました。
前作「スプリット」と「アンブレイカブル」両方とも好きで。「スプリット」のエンディングで「アンブレイカブル」との続編を公開します、との告知を見てから楽しみでならなかった。

シャマラン監督はいつも超常現象、人並外れた能力や、説明できない事象を説明しないで普通にそこにあるものとして描く。もったいぶるので哲学的だったり分学的だったりなんて思わせるが、そうじゃなく、ただすげーものがこの世界にはほんとうにあるんじゃないのって言いたいだけの映画を作っている。と僕は思っている。

今回はそんな監督のモチーフが今までの作品群の中で最も前面に出ていた。
その感覚と主張に最後には涙が出そうなほどのピュア度を感じ、シナリオの良さに感嘆した。すげー面白い映画だったのでぜひ見てください。でも「アンブレイカブル」と「スプリット」を見てからでないとしっかり楽しめないのでそれを見て、見直してからにしてください。

毎回監督はどこかに出てくるのだが、今回はシャマランを探せではなく、シャマランです、って感じに思いっきり出てくる。若い。何歳なんだっけこの人。

映画館を出ると、そとは雨。ひえー。。。ひえひえの世界。
知らなかったが天気予報は80パーセント雨。そのあと雪になるかもとのこと。
傘のないまま雨の中帰った。インフルエンザにならなきゃいいなあと思いつつ。
ひえひえの道濡れたまま。

ここ最近インターネットで中年の貧困についてという記事を読んだ。
自己責任という言葉を都合よく使う世の中が大嫌いな僕は就職氷河期の流れから抜け出せない人たちの記事を目にとめやすい。中年非正規社員、派遣社員の問題は社会が作り出したものでその人たちに責任は正直僕はまるでないと思っている。20代そこそこで完璧な選択ができる人なんかいない。そして僕みたいに最初から就職なんか考えてなくて、バイトやりつつ好きなことをしていこうと思った人が貧困に陥ってしまう状況もおかしいと思っている。目的を追うことが出来、頑張ればある程度そこそこの生活ができる世の中であることがとても大事だ。
それはすべてにポジティブに機能してくると思っている。

なんにもしないで、という人はまあどうでもいいとして、
頑張っている人にはつねに幸せを感じていてもらいたい。記事に書かれた中年の貧困は今となってはよくある話で氷河期で希望ではない職種に就職し、今でいうパワハラを受け、今でいうブラック企業に再就職し、体を壊し、貯金を全部使い果たしてからでないと受給されない文化的な最低限度の生活に救われず、それでも前向きに頑張って日銭を稼ぎ、同級生とは話も合わないし会いたくもないしで先の見えない未来に恐怖を抱きつつ寝ている、という人の話。

抜け出すチャンスはたくさんあっただろ、という人はたくさんいる。
でも言うのとやるのでは大違いでそのチャンスは過ぎてからわかるようなものだったかもしれない。もっとよく考えればという人もいる、が考える余裕がどんどんなくなっていく状況でもある。端からは突っ込みどころ満載なんだろうけど、本人は必死で誰よりも誠実に仕事に向き合い、傷ついている。

年金の信頼が揺らぎ、消費が落ち込んで金が回らないのは20年前から変わらないのだが、先が見えないのはいつの世も誰もが一緒なんだが、その安心感や自尊心は世間の目のおかげで崖の上と下程のものとなってしまう。正社員だって安定しているとは言えないし、病気になったら会社はほどなくして切ってくるし、介護にかかる費用と体力はどんどん必要になっていくし、何をもって安定しているというのか僕は未だに把握することが出来ないのだけれど。だからって安心しろよっていう理由にはならないとも思っているのだけれども。

「ミスターガラス」では登場人物が存在理由というものを求めている。映画はそれを証明すための話だった。存在理由は誰しもが大なり小なり求めているものだ。自分は卓越した存在ではないにしても何者なのかを得てアピールしたい。誰でも「ロッキー」な演説を心に秘めていると思う。がアポロ倒すにはかなりの努力がいる。ほとんどの人は相手と自分を比較して、自分の存在価値を見出そうとする、結局その人と自分がかなり似ているからだと思う。子供社会そのままに大人社会が出来ている。

とりあえず、頑張っている人には、「あなたには価値がある」と伝えるべきであり、その対価を支払い、対等に話をするべきだ。あなたの今の状況は自己の責任ばかりではなく、社会とあなたのバランスを考えたときにあなたがとった一つの策の結果なだけだ、そしてどちらかが変わればバランスも変わる、と言いたい。

こういうことを書いている時点で僕は余裕のある状況なんだろうし、第三者でしょ、と言われてしまうだろう。でも羽ばたきにくい世の中を感じているのは一緒なのだ。先が見えないのが当たり前なのだがそれを不安に変えて心身ともに利を得ようとするなんて、それこそなんか得体のしれない力が作用してるんじゃないの?と思っちゃう。ひえひえの道とシャマラン映画とインターネットの記事からそんなことを考えてしまったわけだ。春が待ち遠しい。

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