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2021年08月に書かれた日誌

2021年08月28日

素直が一番

西條です
オリンピックも終わり、パラリンピックが始まり。夏が終わりに近づき、でもコロナは全然終わらず。
昨年と同じ、コロナ禍ステイホーム夏。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

久しぶりにアクセスした西條組日誌の日誌エントリー画面がいつもと違うので星野君が何かかえたのかしら。
もしくは僕のブラウザがマイナーバージョンアップでもして表示の仕方がかわったのかしら。
変わるものと変わらないもの。日本は、いや断言するものではないが、変わらないものにロマンを感じてきたことが多く、
それが思い切りのいい発展を妨げていたかもしれないと最近はよく思うようになっている。

オリンピック。賛否あり。感染者数にはプラスにもマイナスにもなったと思う。
家でテレビでオリンピック、の時間が増えたことでステイホームにはなったが、
盛り上がって気が緩んで出歩いたり、たむろしたり、国立競技場の花火を見に出かける人も沢山いた。
とはいえオリンピックが無かったら、みんな家にいたんだろうか。
選手村、関係者の感染はニュースになっていたが、クラスターにはならなかった。クラスターと呼ばなかっただけかもしれないが。
バブル方式はそれほどうまく稼働していない評価。がオリンピックの関係者が世間に感染を広げていった事実は無い。
デルタ株がオリンピックにより海外からやってきたわけでもない。
未来、総括すれはオリンピックはやらない方が良かったということになるだろう、コロナというより財政の問題でそうなる気がする。
開催しなかったらこんなことにはなっていなかったんだ責任者責任をとれ責任取って税金をセロ円にしろ、とか。
開催しなかったらあの時開催しておけば良かった、という人も出てくるだろう。

デルタ株はそれまでの株より何倍も移りやすく、数が多いらしい。
ニュースでは中等症の人が入院できない状況を放送している。見るたびに本気で怖くなる。
ホントに防護服を着た医者が患者に入院を断っている。後に入院できたと最後にナレーションを付けるニュースがほとんどなのだが、
なかにはそのまま入院できず、死んでしまった人もいる。日本全国トリアージされて明日は我が身のまま今日を終える。ほんとに感染したくない。
野々村真さんはICUに入って生還した。本当に苦しかったろうし、本当に良かった。千葉真一さんは死んでしまった。ワクチンを打たなかったからと報道されてもいる。
千葉真一さんのその選択を悲しむことは出来ても、否定は出来ない。千葉真一がそうだと言ったら、わかりました、と言ってしまう存在である。

日本を代表するアクションスターだけれど、子供時代に何度も里見八犬伝をみているのだけど、
なぜか、「せんせい」という映画の千葉真一さんの笑顔をよく覚えている。
アクションスターはアクションばかりでは評価されない。カリスマ性や愛嬌含む演技力が無ければ観客が感情移入しない。
キルビルなんかも楽しい役を演じていた。日本を代表するスターであった。新幹線大爆破の冷や汗まみれの顔も忘れなれない。

思うにこれからの俳優がどうやって千葉真一さん他あの頃の名優のような跡を残すことが出来るだろうか。
有名になりたい、金をたくさん稼ぎたい、楽しい人生を歩みたい、そして誰かの心の中にのこりたい、と願う俳優は多いが、人の心に残るというのはかなり難しい。
当時の映画スターは恵まれている。銀幕は一番の娯楽だったし、ビデオ時代も名作映画は価値のあるもので、プライム時代もギリギリだがその価値をつないで行ける。もしかしたらぐるりと回って長いレトロブームが来るかもしれない。最近パール・ホワイトの話をする人に会ったりもした。

これからの俳優が誰かの心に残り、誰かの支えや指針になれるように、映画は名作を作り続ける努力をしなければならない。そして映画の宣伝は、その映画の価値をしっかり世間に知らせる努力をしなければならない。僕たちは穿った観方をしないで素直に子供の心でその世界に興味を示していたい。一人の俳優が死んだあと素直に感謝が出来ることはありがたいことだ。これからの俳優と映画、演劇や配信も、作品と呼ばれるものはその理想をぜひ捨てないで欲しいとあたらめて思った。

思うに、商業的なアプローチは、結果なんにもならない。
その場をつなぐことが出来ていそうで、未来は狭まる。作家性を重視するあまり才能を発揮できない時期を過ごす人にはそのアプローチは必要だが、
資格を持つのは近親者、編集者やマネージャー、プロデューサーが誠実で才能がある人のみだ。才を見る力、ポリシーから発生する提言、一蓮托生、二人三脚で臨む覚悟。
ホレこむ、という感覚に沿えればうまく種がまけるし水が与えられる。思い付きの化学肥料では茎ばかり伸びて花が咲かない。言葉巧み、に本物はもう飽き飽きしているのだ。
僕はうまくやろうとしたことがうまくいった試しが無い。むしろうまくいかなくても正攻法でいこうとしたことのみ、いい結果が出ている。
勉強中だからってのもあったし、必死でもあったからいろんな失敗をしてその失敗は後には嫌なことしか残らず、人に言いたくないことは、つまるところ目の出ない才と同じ、くすぶって焦げ付いたままそこらへんに転がっている。

テリー・ギリアムのインタビュー。
テリー・ギリアムは苦労してドン・キホーテの映画を完成させた。そのドキュメントも見たが、映画が出来ませんでした。という結論で終わるとんでもなく残念な作品だった。
周りのスタッフも監督自身も、キャストも、誰もかれもが映画を作ることに前向きで、でも自分のスケジュールもあって、でもテリー・ギリアムの映画に出るんだかかわるんだという気持ちでその場にいるが、運命は容赦無く。予算も容赦なく。頓挫した挙句仕切り直し、金銭的にも名誉的にも迷惑をかけることになり、それでも再度ドン・キホーテにこだわる監督。
その映画はその後、形を変えるも完成し、世界公開になった。あきらめないことの大切さもさることながら、この作品のインタビュー記事で、いままでどうもすんなり理解できなかったことの正体を発見し、感動した。

そのインタビューにかかれていたこと、簡単に書く。
「とあるCMを担当した時、映画一年分のギャラをもらった。だから若い才能のある監督がCMの仕事をしたいと思うのもよくわかる。CMは夢を売る仕事だ。でも僕は夢を売るよりも自分で夢を見るほうが好きなんだよ」と。
ドン・キホーテの映画についてのインタビューでそう語っている。この言葉はきっと少し軽い感じで神妙ではなくいつもの会話が少し緊張した感じのテンションで発せられた素直な言葉と思う。僕はこの言葉にかなり創作の神髄を感じた。

その昔僕が若いころよく言われていた言葉=何のために映画を作るの?誰のために映画を作るの?

君の作っている映画は誰に頼まれてもいない。そんなもの作る価値があるの?誰かのために作られていないものは、すべて作家の自己満足でしかない、そんなものに金を払う人がいるの?
君の映画には、君の創作には価値が無い、という言葉で、正論に聞こえる。正論に聞こえるので、そうかなあ、としか返せない。正論に聞こえるがどうもその通りだと思えない。
そんなこんなの時間を過ごしていた。まあ劇場で公開されたりするとそんな言葉は全く聞かなくなってしまったのだけれど。正論ぽく聞こえる何のため?誰のため?自己満足に金は払わない、をなぜ理解できなかったのか、がつまりテリーのその言葉によって解消された。つまり僕も夢を売りたいんじゃない、夢を見ていたいのである。そして他人の夢を見たいと思って映画を見ているのだ。僕のために作られた作品なんか正直興味が無い。だってもうそんなの自分で想像つくだろう。僕は、なにこれ!?なんじゃこりゃ!?というものを飽きずに見たい。この人すげーなっていつまでも言っていたい。そんな感じ。だから僕に商業的にアプローチされたものはありがたいんだけれど、興味があんまりわかないし、観てもよくできましたとした感想が無い。これ・・・見たことなんですけど、。。というものをずっと求めているんだろう。

僕の場合、映画制作は自分が夢を見たいから作るのであり、他人の作品もその人がその人のために作った作品ならば十分見る価値がある、お金を払う価値がある、だって自分が想像できないことがたくさん詰まっている可能性があるんだから。

そういえば昔からジャケ買いよくするし、チラシに書かれたあらすじ半分まで読んだらあとは作品観るまで読まなかったりしていた。

そんなわけで、ずっとこれ書きたかったんだが時間が無かったので書けなかったやっと書けて良かった。
僕は誰かのために作られた映画なんか見たくないし作りたくないのだ。僕は僕が観たいものを作りたいし、それを見て面白がってもらいたいのである。
だから今にあわないとか、ターゲットだとか流行りとかどうでもいいのだ。他人の評価は欲しい。それは当たり前で認めてもらいたいとか存在価値の主張なんて表現者じゃなくたって誰でも持っているし表現者がひと際その欲が強いとも思わない。ぶっちゃけ表現者はいいねとかそんなにいらないと思う。それで終わるものを狙っているわけではないのだから。

そんなわけで、作るなら迎合せずつくろう、そんな作品に俳優を募ろう。募った人たちは信じてついてくる。その気持ちにこたえるにはさらなる素直さが必要だ。手r-・ギリアム監督のしつこさや千葉真一さんの筋肉、躍動感には一直線の素直さがある。オリンピックパラリンピックの選手も自分のためにそのコンマ一秒、一ミリを競う。アーティストとアスリートは同じベクトルで人を感動させられる。商業なんか軽々通り越して脳髄に飛び込んでくるのだ。未来へ子供たちにも順当に受け継がれていきますように。

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