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念頭にあたり。

西條です。
あけまして。すでに一月も下旬となりました。
コロナにより実家に帰れず、年末年始は家でもくもくとすき焼きを食べていました、酒を飲んでいました。なんていうか、でもぶっちゃけそれだけしかしてないというか、他になにもしようがない。それが課せられた義務。遠出は出来ず、でも近場も密になっており、特にスーパー。収束の気配は無し。変異種がどんどん増える。

コロナウイルス変異種。
COVID19はSARSCOV2。SARSの変異種といってもいいかもしれんな、と思いました。
もともとSARSを知ったのは香港でのパンデミック。僕が28,9歳の頃だったかな。香港映画がどうなってしまうのか、少々不安でした。テレビに映る香港はみんなマスクをして交差点を歩き、家に帰っても親にさえ触ることもできない。院内感染が多く、悲観して飛び降り自殺をする看護婦のニュースを見たのが衝撃でした。SARSが明けた後も、香港はすっかり自信を無くしてしまった、とどこかの本が描いていました。世界から、香港は不潔だからそうなったんだ、とも陰で言われていました。ある日香港の大スターがホテルから飛び降り自殺をしました。その事件に少しだけ触れた香港の情報誌には、SARSが明けてもどんよりした雰囲気と、前向きになれない人々の気持ちが稀代のスターにも少なからず影響を及ぼしたのかもしれない、と書いていました。

僕はその時の香港の陰鬱さを覚えています。大御所の実力者がスターの自殺についてコメントを求められ、勘弁してくれ、と退散したことも覚えています。その場に香港にいたわけではないのだけれど、数少ない情報を懐と相談しながら得ようとしていました。それから香港映画はSARSをテーマにした短編映画集を作りました。その一遍を監督したツイハークは、襲ってくる鮫と奮闘するアニメを作成。「SARSはシャークと深い関係にある。スぺルを変えるとSARSはSHARKになるんだ」と言っていました。僕は唖然としました。本気なのかこの人・・・しかし同時にその時代をけん引してきたありえない感覚に香港映画の未来へ向かうベクトルは途切れることは無い、と確信しました。

変異種。SARSの変異種。SARSCOV2。その変異種。SARSCOV3、SARSCOV4、SARSCOV5・・・となるのだろうか。当時の香港でも結局ワクチンは出来ず。対処療法しかないまま封じ込めました。それは医療の現場の人々の、死ぬ気で臨んだ結果です。
今現在、日本でも多くの医療の現場がプレッシャーと何でここにいなきゃいかんのだ、という葛藤、思い出す家族の顔と目の前の患者の家族を同じ眼で心で観ています。それは一秒ごとに究極の選択を迫られるようなもので、無理やり涼しい顔を作らなければ、乗り切れない。僕は今なにもわがままなことは言えない。

僕の近くにも徐々に感染したという話が流れてくる。
もうすでに目の前にCOVID19はいて、いつ僕はなってもおかしくない状況にある。
それをなんとか毎日回避することだけが唯一僕が出来うる医療従事者を助ける方法で。金をあげてもおいしいものあげてもきっと一瞬でも絶望が見えれば、足元をすくわれてしまいかねないのだから。

ここ数日は改めてそう思いました。
未来を信じること。未来を守るために今はまだマスクを手放さない、いや口放さないし。極力蜜は避けます。気が緩んでいる人たちがたくさん出てきました。ファミレスで結構大声で話している人もいるそうです。政府に文句言ったって政府も初めての経験だから何が正しいのか未だにわからず、独裁でもないのでタイミングよく決められないし。多分先手先手に動けたとしても、それは本当に必要だったのか、悪いところだけ見られて結局ダメな政府だと言われ、言った人は有識者気取りで誰かの情報を盗んでいるだけなのに。とにかく政府がウイルスを除去できるわけではない。実際動くのは僕らなのだから僕らがウイルスをなくす努力をしなければなくならないのだ。ここ数日改めて思いました。

まあそんなわけで、観る作品も少なくなってきてしまい、
Ζガンダムとか手を出そうとしたりしているミドル世代です。Ζガンダム。YOUTUBEで第一話だけ見られるので見ました。なんていうか、久々に見たんだけど、ここまで不親切な第一話ってないね。全然説明ないし、カミーユとかキレやすすぎる。さらに皆が暴力に走りすぎだ。よく小学校の頃これ俺見てたな、と思ったが、ぶっちゃけ続きが観たい。大人になって設定も展開もほぼ知っているからなお見たい久々に。

映画や音楽、家族や過去に助けられながら今を過ごしている。そう思ったとき、それはいつだってそうだったろう、と気づいた。ひねれば飲める水が出る国で今のところ僕は不満を言えない。今の香港はCOVID19と共にそのアイデンティティが根底からくつがえされかねない不安と必死に戦っている。日本のみならず、世界の倒産件数は多くなり、インバウンド狙いの商業施設も高価な賃料をはらう大企業の象徴的ビルも価値を無くし、本当は僕だって明日にも路頭に迷いかねない、感染と共に、明日は我が身、しかしまだ不満が言えない。きっとまだ戦っていないからかもしれない。

戦わなければならない。そして勝たねば、明日が来ない。
今年はワクチンの年になる。味方は徐々に増えていくと信じる。年頭にあたり。もう下旬ですが。Ζガンダムを全部見ます。この日々をいつか飲み屋で笑って話せますように。
やつらを追っ払う事は出来ないが、僕らはつながっていなくても、やつらを倒せるのだ、一日だけでも英雄になれるのだ。

今日も音楽と映画に助けられている。いつか恩を返す。

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2021年01月20日 22:50に投稿されたエントリーのページです。

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