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2020年10月に書かれた日誌

2020年10月07日

コロナの秋

西條です。新型コロナが蔓延し始めてからもう幾月か。本当は去年から徐々に蔓延していたという話もあるわけで。長い戦いです。また終わる術が見つからない。ワクチンの開発だけが唯一の希望ですが、いつになるやら。出来てもそれが本当に効くのやら。インフルエンザも毎回新型がでるため根絶が出来ない。ウィズコロナはインフルと同じく共に生きるものとなるのでしょう。症状が出ない人が多いところが唯一いいところだけれど、重症化は怖いね。インフルもね。

そんなわけで全然人に会っていません。どこにも行っていません。
そのうち行きたいところがだんだんなくなってくるのでは、と、この生活にすっかり慣れていくのでは、と思っています。そんな中、江古田のシャノアールがなくなるという事で、さすがにそれは行かなければなるまい。と。家族で行ってきました。ちゃんとマスクつけて手洗いして。

江古田のシャノアールはうちの嫁と初めってあったところ。映画を作ろうと思い、スタッフキャストを募っていた時に仲間の紹介で初めて会ったところなのです。思い出深い場所が閉店。当時はまだ20代前半の迷惑し放題だった頃。今は40代後半の丸くなった家族持ち。店の前にはメッセージボード。たくさんのメッセージが張り付けられています。お客さんがひっきりなしにやってきます。老若男女。学生、主婦たち、一人の老人、ママ友、中年のカップル、若いカップル、男同士、女同士。こんなにもたくさんの人たちが最後に今一度とやってくるのだなと感動しました。思い出がそこにあり、それを確認して保管しておけるように訪れる様はそれだけで生きている感じがします。最後に家族で記念撮影し、べべで枕を買って帰りました。僕の枕は真夏の汗で汗臭くなっていたので。

このコロナで世界はいろんなものを失い、いろんなことを考えさせられ、いろんな変化をもたらしました。そのすべてがこれからの新しい未来のためのものと考えたいけれど、職を失い、路頭に迷っている人たちも沢山います。職に就いている人も、収入が少なくなり、売上が落ち込み、子ども達も運動会やおゆうぎ会、お弁当時間のおしゃべりが消えています。ずいぶんといろんなことを我慢し頑張らなければならないのだなと悲しくなります。戦時中と比較すれば、とも思いますが、それでも悲しいは悲しい。そんなことを思ってかどうか、すでに休日の公園や街には人の出が戻ってきています。さすがに、さすがにもう自粛は疲れた、ということでしょう。この流れも必然。ふまえたウィズコロナ生活の確立はまだまだこれからです。

世界的なインフレが懸念されています。どうなるのかは五分。なったらなったで借金のある人はメリットがあるし、産業、雇用も伸びる可能性があるし経済が返り咲くことも可能でしょうけど、貧富の差が激しくなり、土地持ちがさらに力をつけるし、ブラック企業が増える気もするし何年か前に払ってしまった学資保険があてにできるかわからなくなるから結局いろんなことで人生相殺されそうです。少なくとも来年の度、来年度になると徐々に何かしらが現実となってくるのでしょう。

映画産業も今はどうやって撮影しているのだろうか。ソーシャルディスタンスなんてできるわけないんだから、なんも気にせずでしか撮影出来ないはずです。大体ソーシャルディスタンスは本当に必要なんだろうかマスクつけてるんだからそれでいいんではなかろうか、と未だに思ってしまう。熱が下がった時から一気に人に移していくインフルとそれは一緒みたいなので、そんな人がいる場合は有効なのかもしれませんけど。ソーシャルディスタンスの考えに対して距離をおくようになってきました。

先日「ワイルドライフ」というポール・ダノが監督した作品を観ました。
職を失った父親ともう一度自分をやり直そうとする母親と、亀裂が入る親の真ん中でどうしていいんだかわからないままの子どもと。そんな三人家族のお話。イタイ人たちが織りなす家族である自分と家族でない自分でした。子供役はあきらかにポール・ダノに顔が似た子供を選んでる。ダノ自身がとてもこの作品を作りたかったのだろうと思います。経済大国アメリカの田舎町は日本と何も変わらない寂れて静かでほそぼそとしていてお金を持っている人がやっぱり一番魅力的で、家族がなればみんな若いころに戻ろうとする危うさとかわいさとイタさがある。人は誰も変わらない。主人公の子供は亀裂の入る両親の心に対してなんも出来ないし、自分自身が破れかぶれになり、当たり散らすこともできない。でも実際はそんなものだと思う。僕もあの少年だったらできることは家族写真を撮ること、撮れることを願う事だけだ。
非常にすっきりとしていた秀作でした。なにやら心に残る。

殺人や殺しや陰惨な人を描くことでセンセーショナルを売りにした作品が多いことに気付く。非現実なのものを描けることが映画の魅力で僕も大好きですが、そんな作品がとても多く、サイコパスの暴力性を芸術として描くことが多い。正直大した才能ではない。だってすぐ思いつくことだし。有名な監督がとっくの昔に作っている。そのほとんどは同じ結末だし、同じような運びだ。

ホントにこの年になって機微や関係性について深く考えるようになった。そしてやっぱり映画はエンタテイメントでなければならないとも。これからのインフレで貧富の差が激しくなり、未来の描き方が少し変わってくる可能性があるなかで、人はどれだけ、その人が不幸であるという作品を観たいと思うのか、金持ちの人も貧乏な人も現実をスクリーンで見ることを期待するだろうか。今一度考える。明日の力は自分への期待だ。だからそれを誘発するために創作には夢が必要なのだ。現実には夢が必要なのだ。もう一度、である、もう一度、信じたいものを信じられるように。

マスク着用手洗い万全。そろそろ外に出てみることにします。

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