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春が待ち遠しい。

西條です。
今年はまだ寒過ぎる日が来ないのですが、
二月。風の冷たい寒さ本番。おののいて春が待ち遠しい。

インフルエンザA型がかなり流行っています。
去年僕はBにかかりました。Bとくらべて比較的短いA、といっても3日は苦しむ。
高熱。40度の熱経験あり。まあ苦しいったらない、吐き気もあり、関節もバリバリいたいし、とにかくかからないことが一番。
なので家に帰ると手洗いとうがいは恐怖に背中を押されつつマスト。

そんなわけで、人の多いところに行くのもちょっと身構えるわけですが、
映画館に行ってきました。やっぱ映画館はいいね。気分が上がる。
シャマランの「ミスターガラス」見に行きました。
前作「スプリット」と「アンブレイカブル」両方とも好きで。「スプリット」のエンディングで「アンブレイカブル」との続編を公開します、との告知を見てから楽しみでならなかった。

シャマラン監督はいつも超常現象、人並外れた能力や、説明できない事象を説明しないで普通にそこにあるものとして描く。もったいぶるので哲学的だったり分学的だったりなんて思わせるが、そうじゃなく、ただすげーものがこの世界にはほんとうにあるんじゃないのって言いたいだけの映画を作っている。と僕は思っている。

今回はそんな監督のモチーフが今までの作品群の中で最も前面に出ていた。
その感覚と主張に最後には涙が出そうなほどのピュア度を感じ、シナリオの良さに感嘆した。すげー面白い映画だったのでぜひ見てください。でも「アンブレイカブル」と「スプリット」を見てからでないとしっかり楽しめないのでそれを見て、見直してからにしてください。

毎回監督はどこかに出てくるのだが、今回はシャマランを探せではなく、シャマランです、って感じに思いっきり出てくる。若い。何歳なんだっけこの人。

映画館を出ると、そとは雨。ひえー。。。ひえひえの世界。
知らなかったが天気予報は80パーセント雨。そのあと雪になるかもとのこと。
傘のないまま雨の中帰った。インフルエンザにならなきゃいいなあと思いつつ。
ひえひえの道濡れたまま。

ここ最近インターネットで中年の貧困についてという記事を読んだ。
自己責任という言葉を都合よく使う世の中が大嫌いな僕は就職氷河期の流れから抜け出せない人たちの記事を目にとめやすい。中年非正規社員、派遣社員の問題は社会が作り出したものでその人たちに責任は正直僕はまるでないと思っている。20代そこそこで完璧な選択ができる人なんかいない。そして僕みたいに最初から就職なんか考えてなくて、バイトやりつつ好きなことをしていこうと思った人が貧困に陥ってしまう状況もおかしいと思っている。目的を追うことが出来、頑張ればある程度そこそこの生活ができる世の中であることがとても大事だ。
それはすべてにポジティブに機能してくると思っている。

なんにもしないで、という人はまあどうでもいいとして、
頑張っている人にはつねに幸せを感じていてもらいたい。記事に書かれた中年の貧困は今となってはよくある話で氷河期で希望ではない職種に就職し、今でいうパワハラを受け、今でいうブラック企業に再就職し、体を壊し、貯金を全部使い果たしてからでないと受給されない文化的な最低限度の生活に救われず、それでも前向きに頑張って日銭を稼ぎ、同級生とは話も合わないし会いたくもないしで先の見えない未来に恐怖を抱きつつ寝ている、という人の話。

抜け出すチャンスはたくさんあっただろ、という人はたくさんいる。
でも言うのとやるのでは大違いでそのチャンスは過ぎてからわかるようなものだったかもしれない。もっとよく考えればという人もいる、が考える余裕がどんどんなくなっていく状況でもある。端からは突っ込みどころ満載なんだろうけど、本人は必死で誰よりも誠実に仕事に向き合い、傷ついている。

年金の信頼が揺らぎ、消費が落ち込んで金が回らないのは20年前から変わらないのだが、先が見えないのはいつの世も誰もが一緒なんだが、その安心感や自尊心は世間の目のおかげで崖の上と下程のものとなってしまう。正社員だって安定しているとは言えないし、病気になったら会社はほどなくして切ってくるし、介護にかかる費用と体力はどんどん必要になっていくし、何をもって安定しているというのか僕は未だに把握することが出来ないのだけれど。だからって安心しろよっていう理由にはならないとも思っているのだけれども。

「ミスターガラス」では登場人物が存在理由というものを求めている。映画はそれを証明すための話だった。存在理由は誰しもが大なり小なり求めているものだ。自分は卓越した存在ではないにしても何者なのかを得てアピールしたい。誰でも「ロッキー」な演説を心に秘めていると思う。がアポロ倒すにはかなりの努力がいる。ほとんどの人は相手と自分を比較して、自分の存在価値を見出そうとする、結局その人と自分がかなり似ているからだと思う。子供社会そのままに大人社会が出来ている。

とりあえず、頑張っている人には、「あなたには価値がある」と伝えるべきであり、その対価を支払い、対等に話をするべきだ。あなたの今の状況は自己の責任ばかりではなく、社会とあなたのバランスを考えたときにあなたがとった一つの策の結果なだけだ、そしてどちらかが変わればバランスも変わる、と言いたい。

こういうことを書いている時点で僕は余裕のある状況なんだろうし、第三者でしょ、と言われてしまうだろう。でも羽ばたきにくい世の中を感じているのは一緒なのだ。先が見えないのが当たり前なのだがそれを不安に変えて心身ともに利を得ようとするなんて、それこそなんか得体のしれない力が作用してるんじゃないの?と思っちゃう。ひえひえの道とシャマラン映画とインターネットの記事からそんなことを考えてしまったわけだ。春が待ち遠しい。

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2019年02月01日 10:50に投稿されたエントリーのページです。

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