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スター

西條です。
デビッドボウイが死んで、数日経ちました。
寂しさはありません、死んでからもheavyに聞いていますがその才能を再確認し、その曲を聴いていた頃を思い出し。訃報を聞いてショックはショックなのですが追悼というよりも曲を聴こうと思いました。
僕にとってスーパースター過ぎたんだろうか、おそらくどのアーティストよりも好きだったデビッドボウイ。同じ時代に生きていたことに感謝の言葉しか有りません。

洋楽に触れさせてくれた人でした。
映画好きな冴えない少年だった僕は音楽と言えばサウンドトラックで当時はCDが出始めたころで、
CDラジカセというものが発売されコマーシャルでボンジョビがバッドメディシンしてた頃、地元の太鼓祭りの日に夜の九時から放映していた何曜日だか忘れたけれど洋画劇場を中村さん家のマックロードで録画したのが「ラビリンス魔王の迷宮」でした。

録画は少し失敗して最初の数秒が欠けている状態でオープニングの曲が始まり、ふくろうが闇を飛んで水晶がはじけてラビリンスのタイトルが現れ、ワクワク感ハンパ無いままジェニファーコネリーとアンダグラウンドのキラキラした音が冴えない中学生を一気に映画の中に引きずり込んでくれた。
「ラビリンス魔王の迷宮」はかなりファンの多い作品だがデビッドボウイを語る上でよく批判される作品でもある。だからこの作品でボウイを語るなと言われそうだが僕のボウイはこの作品なくしては語れない、こんな宝石箱のような作品なんてほかに無い、ジムヘンソンの才能とVFXじゃなくSFXだった時代がたまたま僕の中学時代で良かった。ちなみに日本語吹き替えセアラ役は喜多嶋舞だった気がする。ウィキペディアで調べたら喜多嶋舞が声を担当したのはフジテレビ版と書いてあるので僕が録画したものはゴールデン洋画劇場でその日は土曜日だったんだろう。

まあそれで映画は面白かったんだけれど、とにかく音楽凄くいいからなんとか手に入れたいし、演じていたデビッドボウイって人すげえやと思ってレンタルCDでサントラを借りて聞いたらやっぱりよくて、他のデビッドボウイのCDも聞いてみよう、と思って借りた多分ベルリン三部作のどれかだったろうげどそれが全然いい曲に聞こえなくてつまりラビリンスのサントラみたいなの想像していたから全然そうじゃなくて最初はなんだこれ全然違うしへんな曲ジャンって思っていた。
が、
気にはなっていたようで、ある日ベスト版デビッドボウイ「チェンジズボウイ」というCDを借りて聞いた。
それが、きっかけでハマってしまった。一曲目のスペースオディティだけ一日中聞いていても飽きないくらいデビッドボウイとはなんぞやと言う感じで聞いた。その当時の僕はお金がなく、なけなしでCDを借りてカセットにダビングして聞いていた、「ラビリンス」のサントラと「チェンジズボウイ」のカセットはすりきれるという状況まで聞くことになる。後にも先にも擦り切れるまで聞いたアルバムはコレだけだった。

「チェンジズボウイ」の最後の収録曲はブルージーンでつまりデビッドボウイとしては一時代ではなく二時代くらい過ぎた頃、それ以降はティンマシーンからブラックタイホワイトノイズまで長い道のりがあり、そこで去っていった人も沢山いるわけだが、僕は他の人と違い、ティンマシーンのアルバムは良く聞いた。逆にスケアリーモンスターとか評価が高いのになんだかなじめない僕がいた。高校に入ると同じようにデビッドボウイが好きな友人がいて、薦められたのが「ジギースターダスト」だった。ここで初めてロックとはなんぞやとなり、一気にデビッドボウイが僕の中でスーパースターになって行く。ロックによくある話だ。

東京に来てからボウイの曲は沢山聞いた。
スペースオディティやハンキードリー、ピンナップス、ダイヤモンドドッグス、ヒーローズ、レッツダンス等、そして「アウトサイド」以降のアルバムは僕にとって常にインスピレーションのもととなった。ほんとアウトサイド以降のアルバムは最高。アースリングもアワーズもヒーザンもリアリティもネクストデイもブラックスターも最高なのは何でだろう、まったく衰えない。

「リアリティ」ツアーで初めて生でデビッドボウイを見て聞いて、未だにその場面を覚えている。
レベルレベルのイントロとハングオントゥユアセルフの驚きと、スペースオディティのさわりだけ歌ったこととアンダープレッシャーとクイックサンドとグリンチのモノマネとアイムアフレイドオブアメリカンからジギースターダストで両手を広げるまでのクライマックスとまあホントこの人凄いわと感動した日。

デビッドボウイと言えば変化し続けるスーパースターとか常識に囚われないとか言われるし、まったくそのとうりだと思うのだけれど、フォークから始まり、バンド組んだりテクノっぽくなったりするなかでも彼はずっと同じ音楽、自分の音楽を作り続けていた。アースリングなんて特にテクノっぽくて衝撃だったかもしれないが、彼の中には若い頃からそのリズムがあったんじゃなかろうかと僕は思う。キャラクターだったりSFだったりロマンチックだったり小宇宙だったりして彼は表現をしようとしていたけれど、そのどれもがそのとき古臭くないものばかり。イメージに囚われない選択はすべて功を奏した。それ自体が彼がずっと若いままでいられた理由かもしれない。その姿勢に共感し、手本にしている人は沢山いる。
最後のアルバム「ブラックスター」の最後の曲「アイキャントギブエブリシングアウェイ」は、
僕が一緒にいけるのはここまでだよあとは一人で歩いていくんだよと言われているようだがうなづいてさよならできるまで僕も成長した。ありがとうスター、これからも聞いていくし変化を恐れません。

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2016年01月27日 05:04に投稿されたエントリーのページです。

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