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2015年04月に書かれた日誌

2015年04月03日

春は東京

西條です。
ほぼ家の半径1キロ以内で生活している数ヶ月。
たまには街に出たい。そんな中、時間を作って映画館に行くことが出来た。
見たのは「アメリカンスナイパー」

クリント・イーストウッドが監督した映画である。
この人の映画は何故か見に行ってる頻度が高いのだけれど、
だけれど、そんなに大好きというわけではなく「グラン・トリノ」とか。やっぱりダーティーハリーとかハートブレイクリッジとかのイーストウッドが好きなんだけれど、なんていうか、出演しててもしてなくても無視出来なさそうな映画を作るから観てしまう。

戦争に志願するソルジャーがスナイパーとして英雄となりやがてPTSDになり、そして同じように苦しんでいる人に殺されてしまう話で詳しいあらすじや批評とかはヤフーとかいろんなサイトで書かれているので個人的な感想とにかく観ているこっちもPTSDになりそうだった。
本物の戦争はそれ以上に恐怖の世界だと思いながら観てると思わず眉間を手の平で覆って吐き気もしてくる。

使命に駆られて、仕事に向かうソルジャー。戦争じゃなく仕事してるときの理不尽さとか不条理さとか、なんていうかその人の人生の一部に戦争が仕事としてあって、その仕事に居場所を見つけて押しつぶされてゆく様がとてもシンプルに詳しく描かれていた。
それにしても戦争に子供が出てくるともう頭がクラクラする様になった。今まではそれでも他人事、対岸の火事としてどこかで思えたところが少しあってそれはよくないことなんだけれど、映画館の暗闇から出たときに無事故で家に帰宅できる安心感と理性を残せるバリアみたいなものだったのだけれど自分に子供が出来るともうそんなバリアはなんの役にも立たなくて泣き叫んでる子供とか懇願している親とか100パーセント体に入ってきて自分がもう悲しみと恐怖そのものになってしまう。それでも僕は家に帰らなきゃいけないのだけれどその日は誰も救えずにこれからも救えずに帰るといった感じだった。

主人公が戦争から帰り、PTSDを発症し施設をおとづれる。
心を癒していくところはそれほど描写されていない。どのようにして立ち直っていったかは、が描かれていれば、こちらも立ち直れたかもしれない。最後の葬式のシーンは英雄として埋葬された。深く読むことはいくらでも出来るのだろうけれど、シンプルに見れば、戦争の英雄というのはこういうものだと言われたような。夢と希望を排除された現実を見せられた。観て良かったとは思うけど、人にはお勧めしずらい。けど観て欲しい。

そんなわけで春になりました、
桜は風で散り始め、新緑の季節を準備しはじめています。
桜にはそれほど思い入れがあるわけではないのだけれど、でっかくぼったりたわわに咲く花が連なっている並木なんかはとてもきれいで大好き。花見も大好き。マクドナルドでビックマックを買って花の下で家族4人で食べました。上の子の赤ちゃん帰りは相変わらず大変だけれど、徐々にこちらも子供の気持ちがわかってきて、いろんな対処をしながら、一緒に人として成長している最中です。

親として出来ることは子供の全部ではないんだなあと実感もしており、やはり生き物は社会性を元から持つもので、子供はゆっくりとだけれど、親だけの世界だけでは満足しなくなってきている。来年保育園?幼稚園?そんな感じ。誰か金くれ。宝くじ当たれ。そんな感じ。

春に咲く花は桜だけではないのだが、春だからって咲いたのかどうかはわからない。
花や草や木が好きだけれど詳しくないのがこの季節ちょっと残念。
来年も平和でありますように。

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