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2013年04月に書かれた日誌

2013年04月14日

囚われた男

西條です。
春。新緑の季節になってまいりました。
家の近くの木々の色がホントに鮮やかな若い緑色で綺麗です。若いって素晴らしい。

先日映画を観てきました。
大森立嗣監督作品「ぼっちゃん」。友人が二人ほど出演しています。
秋葉原の連続殺人事件をモチーフにした作品。面白かったです。
ロケ地が地元の長野県ということもあり、新聞発表当初から見たいなと思っていた作品でもあります実は。

物語は非リア充で卑屈になっている主人公が派遣先の工場に入るところからスタートして、そこで友達が出来て、からかわれて、威圧されて、恋をして、友人に裏切られて最後まで孤立している自分からぬけだそうとするんだけど、絶望にかなわなくて秋葉原に向かう。
あの事件の主人公そのものではないけれど、一方から見た、凶行につながる過程を時にリアルに時にファンタスティックに描いていた。

作品を見終わって、いろんなことを思う。
が、その前にまずこの映画の表現のうまさの一つとして、弱い主人公の強いところを描いているところを挙げたい。彼は立ち向かっていた。からかわれてもいじめられてもそこそこ心が屈していなかったし、最後まで絶望から抜け出る挑戦を怠らなかった。服を隠されたときも、ハーゲンダッツ持って行ったときも、山で声を掛けられた女の子を自室に誘う時も、彼は自分に希望を持ってそこに賭けていた。その姿だけ見ていたら、ぶっちゃけモテそうだ。でもそこに性格の悪さが絡んでくる。理想の自分が絡んでくる、絶望感が絡んでくるということで、すっかりモテない男になっている。

彼には理想の自分があった。
クライマックスが終わって、友人と女の子が寄り添っているのを見て「愛だね」と言うセリフがあった。
愛を知らないのに、これは愛だと思うのは、こういうことが愛だ、と夢見ていたんだ。殺人鬼と車の中で星を見ながら語らうシーンも良かった。お互いに求めているものを交互に言い合う最中も主人公は絶望から抜け出ようと「カレー」と言ってみるが期待外れに終わってまた絶望する様を役者も良く理解していた。主人公を演じた水澤さんて、かなり勘がいい人なんだろう。

友人を演じた宇野君は映画祭で特集上映まで組まれる主役もはれる謙虚な男だが、今回の「ぼっちゃん」も代表作になること間違い無しだ。クライマックスシーンの叫びは岡本喜八の「ああ爆弾」のラストを思い出させる、心からのおかしな叫びだった。切れた口をマキロンで消毒する姿が気持ち悪くも微笑ましくも笑える。宇野君の特異なキャラクターがとっても活きていた。

作品は事件の核心に触れながらも、家族については何も描いていなかった。
監督はあえてそうしたとインタビューで語っている。更にユーモアで主人公をとても身近に感じられるようにした。悲劇は喜劇になるということを確かに見ることが出来た。あんな主人公を僕はどこかで見たことがあると思う。それは映画やテレビでかもしれないし、自分自身だったかもしれないし、クラスメートの誰かだったかもしれない。と思ったらいじめを見過ごしていたんじゃないか、自分はいじめをしていたんじゃなかろか、と少し怖くなった。

秋葉原の事件、家族について考えてみる。
教育熱心な母親が原因とよく言われる。期待に答えられなかったことで、子供は卑屈になっていったと。後に母親は自分の希望を押し付けたことを謝罪しているらしい。多分、子供は謝罪より誉めてもらいたかったんじゃないかと思う。その時期、認めてもらうために子供はきっと頑張っていたはずだ。
親になるといろんなことを考える、親と子供とは何かを毎日考えてしまう。

親も子供が大好きだが、子供も親が大好きで、お互いに何とか認めてもらおうと必死になる。
そんなにうまく行くばかりじゃないが、なんとか補填しあって進んでいこうとする。でもお互いど素人だ。
分かり合えない部分は沢山出てくる。不平等でもある。子供に逃げ道は無く、大人には培って得た逃げ道がいくつもある。時間も平等に進んでいない。

直線的な愛情は相撲みたいにぶち当たらないと解消されない。
親は、子供から見れば横綱だ。目指してこい、俺の背中を越えていけと、いつまでも偉そうにしているべきなのかもしれない。銀ちゃんかっこいい、の間柄なのかもしれない。と、今のところ思う。子も様々、親も様々、ですが。親に謝られるより誉められるほうが子供はきっとうれしいはずだ。

派遣労働という時代が産んだ雇用形態。
派遣にはニーズがあった。氷河期世代の僕はその感覚がわからなくもない。
体のいい位置だったし、会社に対しての不満を解消してくれる雇用の有り方だった。
副作用として、その漂流感があげられるが、実はしっくり来ている人もいるわけで、派遣が犯罪の原因とはいい難い。実際秋葉原事件の犯人は正社員として登用されていた時期もある。監督は派遣労働と孤立した環境を言い訳にして犯罪に走る心境も描きたかったのだろうか。

派遣は決して悪いものではないが、続けていると自分が社会から失われていく、忘れられていくような感覚に陥る場合もある。漂流の感覚は若い頃なら冒険心がついてくるけど歳をとるとどこにもたどり着けない不安感が大きくなっていくものだ。その不安を埋めてくれる友人や恋人の存在が無い、のは尚更大変である。と、いうことをそんなの当たり前ジャン、わかってて選んだ道だろう、と言う人は、本当に派遣てものを最初に聞いたとき、そう思えてたんだろうか。
最近思うことは、自分で選んだ道だから、失敗しても後悔するな、というのは無理があるということだ。
なんでも自己責任て言葉を落としどころにするのは、実はかなり危険な世の中なんじゃなかろうか。

犯人はよりどころである掲示板を守るために犯行に走った。
彼には怒りが有り、彼にはプライドがあり、彼には親がいて、彼にはそこそこ友人もいた。
自分の中で、ちゃんとした達成感というものの実感が無かったのかも知れない。理想の達成感があったのかもしれない。結果を出したかったのかもしれない。結果を出したくて、掲示板を荒らした人物に、参ったと言わせたかったのかもしれない。認めてもらいたかったのかもしれない。まったく特異な人間ではない。考えるきっかけをくれた映画「ぼっちゃん」には感謝しなきゃいけない。体を張って演技した友人にも感謝したい。今回もいい脱ぎっぷりだった。

そんなわけで、
話は違うがデビッド・ボウイの新譜 The Next Dayを購入。
Where we now?
映画「月に囚われた男」の最初のセリフとライナーに書いてある、本当にそうだった。
若くも歳取った感覚も僕は感じなかった。「Hours...」「Heathan」「Reality」に継いでこのアルバムと言うことに何の違和感も感じなかった。結構時間が掛かって出したアルバムだけど、以前ボウイは今を継続中で、今は過去からつながっていることを示している。つまり次回作も聞く価値がある。

久しぶりに買ったCD。
SONYのBlu-specCD2というかなり高音質のCDらしい。なんかとっても得した気分だ。パカッと開けたら表についでデザインが黒に白い四角ってだけなのがすげーかっこ良い。更に高音質。ジャケットには「Heroes」を打ち消す線の横に自分の名前。「Heathan」の時は打ち消しまくっていたが、今回のアルバムの方がその打ち消す意味が見て取れる、聞いて取れる。彼はうらやましい歴史を持っていて、それを僕らに分けてくれている。事件、家族、音楽、映画、友達、時代、知識、知らないこと、教えてくれる人、言葉を持っていること、僕はラッキーだ。

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