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2011年05月に書かれた日誌

2011年05月12日

西條です。
雨、シトシト長く降り続いています。

先日は送別会。少人数飲み。
主賓「お好み焼き食べたい」との情報を入手したので、
駅より遠く、お好み焼き屋近くに集合場所設定。
がしかし、主賓「どこでもいい」ということになり、話してたら飲み屋でいいという雰囲気。
僕もそっちのほうが都合いいので、駅まで移動することになり、みんなチャリで来ていたのだが僕はバスだったので、なんと走って駅まで行った。

途中まで青春の二ケツ。
坂の手前で降りて僕は走った。かなり久しぶりに走った。
意外と走れるもので、息は切れたが気分は爽快。その後はやはりビールが美味い。鳥のレバーが美味い。

聞いた話では、運動の後、お酒を飲むのは危険らしい。
ほどほどに。等出来るわけも無く、飲みすぎた僕はいつものごとく二日酔いで目が覚める。
最近飲みすぎる。
途中から日本酒始めるともうヤバイ。饒舌でもないのに話を止めない、オヤジになってしまったんだなあ。反省しないところだけまだ若い。

GWいかがお過ごしでしたでしょうか?

僕はDVD三昧。増村保造の「巨人と玩具」とか見る。終わり方とか、久々に唸るほど素晴らしかった。
企業と人間とのかかわりってやはりまだこの時代から何も変わっていないように思った。しかしこんなに熱い人間はもう目立たないなとも。
増村保造について、今更語る人もなかなかいないと思うけど、いい作品は時代に関わらず輝いているものだ。つまりは作品の良し悪しは時代に左右されないと言うこと。でも「巨人と玩具」は当時全然当たらなかったらしい。このせめぎ合いも時代に関係なく果てしなく続くのだろう。

最近あまり感性と使った生活をしていないので、
どうも日常が平坦に思える。平坦で別にいいし、刺激の求め具合は変わらずなので、
あんまり焦ることも無いのだが、時たま出会うセンスに前より面食らうようになった。
油断しているとすごいものに出会った瞬間を逃してしまいそうだ。気づかなくなるのが怖い。

この前セッキーと飲んだ。
久々に会うのだが、あんまり久々な気もしない。
お互い今年はなんか作ろうと、深酒。仲間と飲むときが一番深酒るね。

昨日の酒がまだ残っている、実は少し朦朧としながらこの日誌も書いている。
そして走った足が筋肉痛。翌日に来るんだからまだ若いってことさ。

この前Iphonをアップデートしたら、ダウンロードしていたアプリケーションが全部消えた。
マジで!?とあせったがもう遅い。
諦めて再度ダウンロードしたら、なぜかデータは復旧していた。途中までやってたゲームとか。メモとか。Facebookのパスワードとか。Facebookやってます良かったら是非。
復旧ついでに8ミリフィルムで撮影したかのように撮影できるアプリケーションをダウンロード。
¥230。にしてはかなり遊べる。これでなんか撮りたい。

そんなわけでシナリオ書いてます。
どんな話になるか自分でもわからない部分が沢山ある。
大筋とテーマだけは決まっている。長い話になる。狭い話にもなる。僕は全世界に警鐘を鳴らすものを作る気は無いみたい。普遍的なものを描きたいと思っている、みたい。一先ず書かなきゃ何も語れない。というわけで書き出すと、なんだかテイストが古い。自由に書くとちょっと古く書いてしまうようで。24とか観て軽く影響受けながら臨んでみようかしら。キャラクターは魅力的になりそうだ。多分主人公はいい人にはならない。

西條組作品「土井さんの不幸」に字幕をつけたんだから
更に海外で上映したいぜと思い、登録サイトに自分のプロフィールを登録してはみたものの、
沢山やってくる英語メールが解読できず、四苦八苦。若い頃に渡米していればよかったと本気で思う。

GWの最後の日、みょうがを育ててみるか、
と100円ショップで苗を買って植えてみた。親にもアドバイスを聞き、
とりあえず野菜育て用の土を購入。鉢いっぱいに土を入れて、苗を植える。
出るだろうか、芽。雨のおかげで土が湿ってくれてるぜ。

2011年05月24日

コンソメ入れすぎた

西條です。
新緑の季節、緑が映え、着る服が定まらない、そんな季節。
先日植えたミョウガは何の音沙汰も無いのだが、プチトマトは爆発的に発芽。
あまりの発芽っぷりで鉢をさらに買い足し。長細いプランターを買ってきた。


下に引く皿がない。しょうがないのでスーパーで肉買った際に出る発泡スチロールのトレイを養生テープでくっつけて、皿作成。なんか久々に工作した。

トレイをつなげるために余分なところをカット、すべく、カッターをガスコンロで炒めていや熱してカシューっと切断。切断面がでこぼこなので、それをまた熱したカッターでナメシ、養生テープでクルクル巻きにする。トレイを4つほど繋いで50センチ強の皿を作った。
小さい頃にプラモデルとか工作セットでラジオとかハンダゴテとか電池式のトラックとか作ったことが役立っている気がする。男に生まれてよかったぜ。
確かハンダゴテを作るのにハンダゴテ使った気がする。技術の授業中に作ったんだろうキット。まだ健在で持っている。

そんなわけで久々にプラモデル作りたくなったんだが、
相変わらずの思いつきなので、多分買わない。でも昔高くて親に催促できなかったラジコンカーとか、
やっぱり心のどこかで未だに欲しいと思っていたりする。作ってもどこで走らせたらいいのかわからないのだけれど。ホーネットとか、ブーメランとかね。アタックバギーとか。ダーティーハリー5で犯人が使っていた凶器です。よけいわからなくしてすみません。

先日、お世話になっている人が脳卒中で倒れた。
あまりにも唐突でドビックリし、すぐにアイフォンで脳卒中を検索。
言葉は知っていても、意味は知らない、というものが沢山ありすぎる僕だ。
どうやら脳卒中とは、脳梗塞やくも膜下出血等を総称して言うらしい。血管が詰まったり敗れたりしておこる病気。後遺症が気になる代物。すごく恐ろしい。前兆はあまり顕著には無いらしい。

しかしリハビリで、障害を克服することは十分可能らしく、とにかく早めの対処がカギのようだ。知ると少し安心する。タバコも酒もやらなかったその人は、人一倍太ってはいたが、とても優しく、子供のようで大人のような、明るく安心する物腰。大事に至らないことをとにかく祈る。

久々に床屋に行った。
かれこれ4ヶ月ほど行ってなかった。すっかり短髪。夏使用となり、寝癖もツンツンとなり、帽子も似合わない。床屋との会話中、尿酸値が高く、腎臓が心配なのさ、だから毎日水をたらふく飲んでトイレに行かないといつか腫れの日をむかえてしまう、と僕が言うと、せっかくだからマッサージしたあとにトイレに行くといい、と言われた。床屋の話では、マッサージをすると老廃物がその場から離れ、体に散ってゆくので、それを狙って出すと、すごく体が軽くなると言う。温泉にはマッサージとお茶がセットになっている理由はそんなことかららしい。知ることで少し得をするのだ。

さっきツィッターとは何ぞや、いう話になり、少し考えてみた。
僕は、ツィッターをやっていない。アカウントは持っているのだが、殆どつぶやいていない。フェイスブックでたまにつぶやいている。にしても、語尾を、なう、にしたことはない。
そんなわけで、そもそも僕はツィッターのことを何も知らないんだと知った。

が、
だからといって興味出たかと言うと出ない。
ツィッターの良さ。あると思う。
この前テレビで言っていたのだが、ツィッターの良さは、一緒にいなくても今何をその人がしているか、何を思っているのかがわかるので、次回その人に会う時、そこらへんの話をハショれるというのがいいんです、とか。僕はどうもしっくりこなくてツィッターの良さはそんなところじゃない気がしている。

ツィッターの良さは、つぶやける、ということ、なんじゃなかろうか。
公に発した独り言、ではあるが、もともとは、インターネット上で独り言を言いたいという欲求をみたしてくれるものなんじゃなかろうか。
インターネット上で独り言を言いたいと言う欲求ってなんだ
と思われる方もいるでしょうが、とりあえず独り言で整理できるもの、ありますよね、例えば気分とか。渋滞でフラストレーション溜まっているとき、マジかよとかつぶやきたい。僕は車運転できないけど。一人で入った定食屋でまずいもの食べたときに、まずいって言いたい、とか。面接のときに深呼吸して、よし!と小さく言いたい、とか。青春。そんな欲求。書くことで整理できる場合も有ります。近くに気を使う人がいるときは、やはり携帯電話とタバコは強い味方になってくれるし。
そこに、ていうかさ~、が加味されて、現在のツィッターが構築された、ということかもしれない。

で、何が言いたいのかと言うと、
久々に会った人たちと、渋滞とかでフラストレーション溜まって、マジかよとか。
一人で入った定食屋でまずいもの食べて、まずかったとか。
面接のときに深呼吸して、よし!と小さく言ったとか。
聞きたい。
ということです。
自分でも言いたい。

まあ、つぶやきをぜんぶおぼえていられるわけはないので、
久々に会ってもやっぱりそんな話をするんだろうとは思うんだけどね。
でも知り合いでもなんでもない有名人の今を知れるのは面白いと思う。
そして緊急災害時に安否確認に効果を発揮することもすばらしい。
なのでアカウントは消す気は無い。いつの日か、つぶやける時が来るかもしれないし。

余談ですが、とある映画の試写会で、上映中観ているその映画をつぶやいてみよう、という企画で試写したことがあるらしい。そんなこと制作サイドがオッケーしちゃいけないと思うんだけど。広まったら悲しい。

鳥のモモ肉を買ってきたので、何か作ろう、とクックパッドを開く。
で、チキンソテーのキノコホワイトソースかけを作った。
嫁のハンバーグほどではないが、驚くほどうまく作れた。
しかし僕の経験からして次回は今回よりもうまくは作れない。
常に目分量の僕は毎回味が変わってしまうのだ。グラムで言われてもわからない症候群。gに消極的なのである。コショウ少少と小さじ一杯ではどっちが上なのか。大体すべてのグラム数を適合しなければその味にならないのだから%の計算すら上手く出来ない僕としては到底クリアできないミッションなのだ。今回も牛乳が一本分なかったら失敗していた。コンソメ入れすぎた。今日の風に吹かれていたい。

最近中島みゆきの時代という歌の良さを再確認し、2011年上半期ですがヘビーローテーションしている。中島みゆき以外の歌手が歌っているものを聞いてみたりもするが、ぐっとくる歌手はそれほどいない。
音程の取れる人が歌手の才能をもつのではない、と友達が言っていたが、その通りだと思う。映画にもいえる。うまく作れば伝えられるのかと言うと、そうではない。
歌い上げることが出来る人ってどれくらいいるのかしら。その人にしか伝えられないものってきっとあるんだろうな、と再確認した。これからも僕は目分量を信じていきます。がんばろ。

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