« 小室とオバマな一日 | メイン | 役者飛ぶ »

林田監督が亡くなりました。

西條です。
現在公開中の映画「ブリュレ」を監督した、林田賢太監督が亡くなられました。
心筋梗塞。32歳という若さです。
一昨日、知人からのメールで知りましたが、昨月お会いした際の元気な姿から想像が容易ではなく、しばらくは連絡を取りながら、事態を把握することに努めました。

僕はまだ映画「ブリュレ」を観に行けていません。
なので観てから日誌を書こうと思ったのですが、
劇場公開日が来週14日までなので、この週末しか機会がない方もいるかと思われるので。

僕は林田さんとはそれほど親しかったわけではないのですが、
映画「ブリュレ」とは縁があり、関係する友人が多い作品です。
初めて作品の名前を知ったのは、元インフェスのプロデューサーの方から。
現在製作中の映画について話を聞く中、「ブリュレ」の存在を知りました。僕がまだ、西荻窪方面に住んでいた頃なので、4、5年ほど前。それからパナソニック関連の会場で「ブリュレ」の製作途中経過報告に立ち合わせていただき、林田監督とそこで知り合いました。服装がラフでなく、綺麗な格好をしていて、最初は真面目な印象でしたが、初見の僕と気さくに明るく話をしてくれました。

映画「ブリュレ」は季節をまたぎながら撮影されていきました。
僕は話を人伝いに聞きながら、まだ撮影が終わらないのかぁと。その間、想定されるトラブルを含め、いろんなことがあったらしく、話を聞くたびに、完成するのかなぁと思ったり。しかしその情熱は人達の心に作品を留め、初めて会う人達もなぜか「ブリュレ」を知っているといった感じで、作品は完成を待たずに界隈話題の一つになっていきました。

初号が完成し、作品は試写会を経て、再度音声編集の後、さらに数年を経て、
今年、現在、劇場公開となりました。
僕は先月、出演している鯛一君のPRで「ブリュレ」の宣伝を兼ねた作品を制作し、上映。
その際、林田監督と久々にお会いしました。
数年前と比べて、体も横に大きくなっていた林田監督。
久々に会ったのに僕のことを覚えていてくれたのにはちょっとびっくりしました。
気さくな方で関西なまりで明るい人。それはまったく変わっていませんでした。
映画に掛ける情熱が強く、それは時として空回りに映る時もあったと思いますが、
一昔前なら、当たり前の情熱であったかとも思います。効率化とコスト削減時代で忘れた、純な情熱を持ち続ける人、傍から見てそんな印象を持っていました。

僕は、映画はコミュニケーションだと思っています。
自己満足の映画なんて一つも無いと思っています。
映画は意見の押し付けには成らないと思っています。
故に映画は大したものではないとも思っています。
語りかけよりも、話しかけられるような感覚のものだと思います。
だから否定することも、だよね~、と賛成することもありだし、やっぱ違うわ、と翻ることもありです。
映画は作り手の言葉です。観客がいないと会話が成り立たないから、上映して初めて完成するんだと思っています。

映画「ブリュレ」は林田監督初の劇場公開作品です。
毎年お蔵入りする映画が100本以上ある中、彼の作品は劇場で公開されます。
残念ながら、彼はデビュー作が公開している最中、帰らぬ人になってしまいました。
しかし彼の言葉はこの映画にたくさん詰まっているでしょう。
もしお時間許すならば、林田監督、スタッフ、キャストの方々の言葉を観に、話をしに行って頂ければ幸いです。

人は必ず死ぬ、というという現実を、最近すっかり忘れていました。
僕もいつか死にます。後悔の無い人生なんて、なかなか送れるものじゃありませんが
僕の周りには、言い訳せずにちゃんと吐き出している人達が沢山います。
ちゃんと生きてる人達。林田監督も、そんな人だったろうと思います。僕もちゃんと生きたいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。

西條

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2008年11月08日 06:59に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「小室とオバマな一日」です。

次の投稿は「役者飛ぶ」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.