マーベリックマーベラス
西條です。さっきトップガンマーベリックを観てきました。
良かったです。大泣きです。前作が公開されてから今までの時間をみんなで共有するかのような映画。奇跡的ではなく努力とこだわりとお金と願いで見事に作り上げた素晴らしぃ作品でした。賞を取るものではないし、いつの日か長い時間の中に消えてゆくかもしれない作品ですが、映画がそこにあることを知らしめる、まさに映画そのもの。いろんなところに感動してしまい、観終わったあとしばらく心の収拾がつきませんでした。
前作、僕は高校の頃だったか、中学の頃だったか、そのくらいに公開されており、僕は前作を劇場で観ていない。あんまり情報が入って来なかったこともあるけれど、飛行機の映画なんて全然興味無いな、と思ったことを覚えています。
観たらばまあ面白くってびっくりしました。その頃は面白い映画があったらお金があるときはすぐにサントラを買った。トップガンのサントラも例にもれず購入し、延々とデンジャーゾーン。テーマソングのカッコよさ、挿入歌の美しさ。いい映画にはいい音楽が必要なのだなと学んだ作品。
続編、その存在を聞いたときは、え?今さらですか?
なんて。そう思った人も多いと思う正直。でも、観てみたら、これは続編としても新作としても素晴らしぃ。飛行シーンはその全てが本物であり俳優もみな訓練をうけて機体に乗りGを受けつつカメラを自分で回しながら撮影していたというから本当に驚き。というかそんなこと許すハリウッドがすごい。まだ西部警察の時代なのかと思った。ジャッキーのスタントにはかなり安全を期すのに。こんなことは、トム・クルーズがそう言ってます、がなければ実現しなかったのではと。
トム・クルーズってすごい。この人がトップガンを、映画を軽く見ていたら、
映画を興行のみで考えていたら、新作は次回作の前作だとしか見ていなかったら、つまり観客の存在がこの人の中で希薄であったら、この続編はきっと生まれなかった。思うに、この稀代のハリウッドスターはもともとの情熱気質にプラスして、レインマンで共演したダスティン・ホフマンのとんでもない役作りの仕方を映画製作全体に対して踏襲している、そんな感じを受ける。あの頃二人はどんな会話をしたのだろう、あの頃二人はどんな刺激を受けあっていたのだろう。そんなことまで感じさせる。
ストーリーはよくある展開ではあるが、それが時間と共にレジェンド化したこの作品の登場人物にとてもあっていて、グースの息子との関係は最初から最後までとても感動的であったし、ジェニファー・コネリーの登場にも違和感なく、ていうか店に精鋭が集まって関係を見せてくる手法がとてもうまい。前作のケリーマクギリスとのチェイスシーンみたいなのが無い分、重厚感が増している。卑屈にも陳腐にもならない展開。マーベリックは大人になり、アイスマンはその役割を終え、新しい恋も始まってゆく。
今作ヒロインのジェニファー・コネリーにもびっくりした。
どうしてこんなに美人なんだろう。未だに。びっくり。ジェニファー・コネリーを最初に見たのはこれも中学生の事である。その頃の映画少年を狙ってか、
ジェニファー・コネリーの登場シーンでデビッド・ボウイのレッツダンスが流れた。かなり卒倒しそうになった、いや本気で。
僕はつくづく映画を好きになって良かったなと感じた。あの頃、熱中して映画を見ていたからこそ今こんなことで感動するのだろう。長い年月があっという間に経った。映画の中の登場人物は無理をせず、その時間をその登場人物なりに過ごしてきた、僕ら観客も同じくらいの時間を自分なりに過ごしてきた、それも感じた。なんだか最初のシーンからグッとくるものがあったのだが、中盤くらいからもう泣きそうになりながら観ていた。最後に出演者の紹介あり、その最後にトニー・スコットへの追悼が字幕で出た。もう涙が止まらなくなってしまい、つけているマスクで涙をぬぐいながら心が落ち着くのも待ったがなかなか落ち着かなかった。追悼文出してくれてありがとう。ファンとして感謝します。
僕らは時間の中にいる。僕らは観たこと感じたこと出会ったことからでしか時間の存在を感じられない。記憶と感覚が僕らの時間を作る。
ジョセフ・コシンスキ監督からしてもトニー・スコット監督の存在は自分の時間を作るうえで大きな存在だったに違いない。僕らにもだった。
トム・クルーズがバイク乗ってるのやっぱかっこいい。そう思いながら僕は自転車に乗って家路についた。今日はとてもいいものを観た。映画館で観た。音が最高だった。映画でも人が死ぬのはあんまり好きではなくなっている昨今。ウクライナ情勢でそういうシーンは結構リアルにエンターテイメントに思えなくなっているので、そこら辺だけは今の僕にはちょっと現実に戻されるところであったが、戦争も、武器も、争いのすべてが映画や表現やスポーツに格納されてしまえばいいのにと。人が死なないようになればいいのに。
本作では数年後にはパイロットはもういらなくなる、と言っている。兵器のみならず、すべては機械、人工知能、無人となる。もちろんメリットだらけだからその道に向かう以外ない、ターミネーターの世界。だけどマーベリックは言う。「でも今じゃない」僕らは僕らの時間を生きている。今必要なものの存在を未来を見据えて言われても、目の前にあるすべきことはそうじゃなかったりするのだ。これからの時代あらゆるものは合理化と効率化を目指し、街から人がいなくなることを目標にするかのごとく。でもそれぞれの存在が消えるのは、今じゃない、マーベリックは昔の男だが今トップガンであることを証明していた。
そんなわけで僕はこれからどう生きていこう。と考えるに至る。
これは子供のころに抱く憧れにも近い感覚。夢を描き伝える力が映画にはある。受けとる力が僕らにはある。まだまだ可能性がある気がする。あれから何年も経ち、もう目指せ50代の僕だというのに。そう思った人は最近多いだろうマーベリックのおかげだ。僕の時間からこの作品は消えないだろう。